「放送のお仕事をやってみたい!」とお考えの方向けに、放送のお仕事って何?をテーマにしたコラムの6回目です。今回は放送の歴史について少しみていきましょう。
日本国内でのラジオとテレビの歴史を最初にざっと書きますね。
ラジオ放送は、国内最初の放送が1925年に今のNHK東京のラジオ第一放送で始まりました。その後、NHK大阪、NHK名古屋でも放送が始まりました。
民放のラジオ局が開局したのはNHKのラジオ放送が始まってから26年後の1951年です。
中部日本放送、新日本放送(MBSラジオ)、少し遅れてラジオ東京(TBSラジオ)が開局しました。いずれもAM(中波)放送です。その後短波放送やFM放送が始まります。
今はRadikoなどで、スマートフォンやPC経由でほとんどのラジオ放送を聴くことができるようになりました。
テレビ放送は、1953年にNHK東京が最初にスタートし、その約半年後に日本テレビの放送が始まります。当時はテレビ受信機が非常に高価だったので、なかなか普及しなかったそうです。「街頭テレビ」という今でいうパブリックビューイングのようなものも行われていたそうです。
当時のテレビ放送は白黒放送でした。カラー放送が始まったのは1957年のNHK東京、日テレの試験放送が最初です。本放送は1960年に始まりました。カラー放送が始まったころは、白黒放送とカラー放送の両方が放送されていたそうです。
白黒放送では、今では考えられないような苦労があったそうです。例えば白いものが白く映るわけではない(!)ため、料理番組で大根を白く見せるために、白い大根に色を付けたりする必要があったそうです。
ちなみにテレビ受信機は、1959年の当時の皇太子さまご成婚中継前後から普及率が上がったそうです。
日テレ以外の民放キー局の開局ですが、ラジオ東京のテレビ放送が1955年に始まり、1959年に日本教育テレビとフジテレビ、1964年に科学技術振興財団テレビが開局します。
日本教育テレビ(NET)?ラジオ東京テレビ(KRテレビ)?科学技術振興財団テレビ(東京12チャンネル)?何のことでしょうね。
実は今のテレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京なんですよ。
関東圏で民放キー局が開局し、その後近畿圏、中京圏でもテレビ局が開局します。当時は今のようなテレビのネットワークも整備されていなかったので、クロスネットや今とは違うネットワークに属していたりということもあったそうです。クロスネットは今も数局残っています。宮崎がその一番わかりやすい例です。テレビ宮崎はFNN、ANN、NNNの3つのネットワークに入っています。
今とは違うネットワークに入っていた一番大きな変更は、1975年のTBS=ABC、NET=MBSのネットワーク変更でしょう。それまでTBS系列で放送されていたABC制作の番組がNET系列で放送され、NET系列で放送されていたMBS制作の番組がTBS系列で放送されるようになりました。
他にもテレビ局が地方で開局が続いた少し後には、ネットワークの変更が多かったようです。
そのテレビ局の開局も1997年4月の山形さくらんぼテレビ、高知さんさんテレビの開局が現時点では最後になっています。
テレビはカラー化の後も、ステレオ放送、ハイビジョン化、4K・8K放送と進化していきますが、この部分については、次回少し詳しくみていきましょう。